一人ひとりの子どもを診るという姿勢に徹して

林敬次 先生 インタビュー

はやし小児科

「子どもは、泣いていようが騒いでいようが、ほんま可愛いですよ。振り返ってみるとうちの子どもたちが大きくなっていくにつれ、自分の子より小さい子が可 愛く思えるようになりました。そう思うようになるまでは、子どもを診るというより、病気を診ていたんだと思うんです。それから相当の年月がたちますけど、 いまは医師として一人ひとりの子を診ているし、可愛いんです」
やさしい、にこやかな表情で林氏は話す。
長い勤務医としての経験。この間、小児医療をめぐるさまざまな社会問題に、小児科学会の一員として積極的にかかわったり、執筆や講演などにも意欲的に取り 組んだりしてきた人として知られる。小児科医になったばかりのころに大問題になった「筋短縮症」の撲滅のために、全国で行われた検診にとびまわったり、動 物実験に没頭したりもした。
「開業を考えないわけではなかったのですが、勤務医として忙しくて具体的に行動に移すこともできないでいました。しかし、自分のクリニックで自分の思う医 療行為をしたいとは思っていました。60歳も近くなったし、なにより勤務医で通勤に時間がとられ、妻といる時間は極端に少ない。毎日、家には寝るために帰 るような生活でした。これからは2人で一緒にいる時間を大事にしようと思って。開業するなら今しかない、と決断したんです」と林氏は言う。2007年7月 に開業した。

■地域の人びとから望まれるクリニックに

自分自身は高槻市まで通勤していたが、自宅は城東区にあった。家族は長年住み慣れていて、街の事情もよく知っている。開業するならこの街にと思っていたという。
「大阪の小児科は、全体的にはよく配置されているんです。そのなかで一部、小児科が極端に少ない地域がいくつかあって、その1つが城東区のこのエリアなんです」と林氏。
開業する1年ほど前から、日本医業総研の開業セミナーに参加してみた。同社と緑ができて、同社の市場調査でもこのことが裏づけられた。地域でもよく知られていた小児科医の林氏である。開業の話を聞きつけた街の人たちは大歓迎だった。
「それに地元の医師会からもぜひ、と言われて。うれしかったですね」
開業前の見学会には、子ども連れの母親たちが100人以上も来たというから、その期待の大きさがよくわかるだろう。
ともあれ、開業に至るまでにはいろいろな不安があった。

鈴木院長とスタッフ
明るく広く感じさせる工夫をこらした待合室

 

「年齢的なことはもちろん大きかったですね。これから開業して大丈夫なのかと、薬剤師をしている妻が大変心配しました。
しかし、日本医業総研さんの懇切丁寧な説明に妻も納得しましてね」
こう話す林氏が開業にあたって抱いていたイメージははっきりしていた。
それは、「大きな、派手な医院でなくていい。こぢんまりしていて、医療機器類も必要 最低限のものが揃っていれば十分。
院長の自分が1人ひとりの子どもをしっかり診ることができる、アットホームなクリニックにしたい」というものである。
日本医業総研コンサルティング部チーフマネージャー・山下明宏氏はこう言う。
「林先生の考えをじっくりうかがって事業計画を作成し、先生のイメージに合うローコストでの開業をご提案しました。
林先生は、今の”薬漬け医療”を批判し、ムダな治療をなくそうと広く訴えて、実践していらっしゃいます。こういう姿勢にも共感しました」
決して広いとは言えないスペース。新築のビルのなかでもないクリニック。でも、これで十分で、自分が理想とする医療はできる、と林氏は自信を持って言う。
「自己資金の範囲内で開業できました。まずはできることから始めようと思っていました」
山下氏との検討で、損益分岐点として患者数は1日20~25人前後と予測していた。実際には40~50人に達するまで、あまり月日を要しなかったという。
「症状を診て、『お薬は必要ありません。家でゆっくり寝かしておいたら良くなります』と言って薬を出さないことも多いですよ」と林氏はさらりと話す。
それ でも患者数は増えるばかり。取材は平日の昼休みの時間にお願いしたが、午後の診療が始まる時間には、
待ち焦がれるように、数人のお母さんと子どもたちが並 んでいた。
「病診連携はもちろんですが、私は昔から有志と医療問題研究会を立ち上げて勉強を続けてきました。
いまや、どの先生も日本を代表する医師になっていて、なに かあるときは連携しています。これは、私1人でやっているクリニックにとって、大きな強みです」と林氏。
「子どもたちの病気を診るだけでなく、街の人たち に子育てのアドバイスもしていける医師でありたい」という林氏の忙しい日々はこれからも続く。

林 敬次(はやし けいじ)先生

ご経歴
1948年和歌山県生まれ。73年大阪市立大学医学部卒。
73年大阪市立北市民病院・東成保健所勤務。
79年高槻赤十字病院小児科勤務。リハビリテーション部長、小児科部長を経て07年退職。
同年5月「はやし小児科」開業。

Clinic Data

はやし小児科

小児科・アレルギー科

〒536-0022 大阪府大阪市城東区永田4-6-11 サンパーク1F

TEL:06-6965-7110

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