医師の本懐は「一隅を照らす」道心

上出良一 先生

医療法人社団 東京慈光会 ひふのクリニック人形町
理事長・院長

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大門通りに往時が偲ばれる江戸時代初期の遊郭や、歌舞伎小屋、薩摩浄瑠璃、人形芝居などの町人文化で栄えた日本橋人形町。今もなお下町情緒を界隈に抱く一方で、日本橋地域は旧来より国内有数の医療・製薬の街として耳に及ぶ。近年、薬祖神を祀る新社殿が遷座され、多くの医療ベンチャーも参入するなど、医療イノベーションの拠点化が目覚ましい。
「人形町」「水天宮」両駅から徒歩1分、地域の大動脈である人形町通りに面したテナントビルに開院された「ひふのクリニック人形町」は、開業初月から黒字スタートを切ると以後も順調に患者数を伸ばし、3年を待たずして医療法人成りを果たしている

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緑寿の新人開業医

41歳が医師の平均開業年齢といわれる中にあって、私が「ひふのクリニック人形町」を開設したのは東京慈恵会医科大学皮膚科学講座の教授を定年退官した2ヵ月後の2014年5月。緑寿を迎える人生の新たな一歩をクリニック開業で踏み出したことになります。
周囲の同年輩には、定年後に後輩の病院などを非常勤で複数受け持っている方も少なくないようです。医師を続けていくのであれば無難な選択ですし、少しは先輩風を吹かせることができるかも知れません。
勤務医か開業医かという二者択一を前に、私の気持ちは自然な流れで開業医へと向かいました。というのも、石川県小松市の生家は、二代続く皮膚科(泌尿器科)開業医で、「三代目は任せておけ!」と昂然と宣して父親と同じ東京慈恵会医科大学(以下、慈恵医大)に学び、診療科も皮膚科に進んだわけです。結局、郷里に戻ることはありませんでしたが、地域医療への取り組みは私の意識にずっと根差していたもので、初心に思い描いていた医師像に40年間の大学生活を経てようやくたどり着いた感がします。

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未開の領域に種をまき、暖簾を創って同門に伝える

慈恵医大卒業後の附属病院皮膚科での臨床研修は、私には何とも物足りないものに感じられました。2年目に形成外科に学びの場を移したのですが、これは皮膚科医にも手術の技量が必要だと考えてのことです。1年後、皮膚科医局に戻った私は、同僚や後輩に形成外科で得た技法を伝えつつ、皮膚がんの手術を積極的に執り行ってきました。医療安全が最優先される今では考えられないことですが、皮膚科医の私が手術室を使って執刀し、困難な場面となるや形成外科の先生の助けを借りて手技を磨いてきたのです。
皮膚科に新たな種をまいてみたいという願望は他の治療にも及びました。例えば、当時のアテローム(粉瘤)治療は、小切開摘出術による嚢腫の完全摘出が基本で、縫合跡が大きく炎症などのトラブルもありました。そこでトレパンで数ミリの小さな孔を開けて腫瘤を摘出するくり抜き法(臍抜き法)が有効ではないかと考え、皮膚科雑誌に「私の工夫」として投稿したところ徐々に広まり、低侵襲化の傾向と相まって現在は多くの皮膚科で採り入れられています。
先鞭をつけるという意味では、慈恵医大の皮膚科で最初にアメリカに留学したのも私でした。大学では教授の指導の下、専らアトピー性皮膚炎の研究を続けていたものの、さらに専門領域の幅を広げてみたいという考えから、皮膚アレルギー研究を目的に渡米、その流れの中で当時の日本では一部でしか研究されていなかった「光線過敏症」に着目し、帰国後に「光線過敏症外来」を一人で勝手に立ち上げました。とはいえ、身近に光線過敏症の指導者はいませんから、英語の文献を読み漁り、研究会に出席しては先輩医師の意見を拝聴し、徐々にメソッドを確立させてきました。
「手術」「アトピー性皮膚炎」「光線過敏症」、それに加え「褥瘡」など、それぞれに種をまき暖簾化して医局に広める。それが慈恵医大時代の一貫した私のスタイルでしたし、その経験が現在の診療上の強みとして活かされていると感じています

患者さんの個別の物語を紡ぎ読み解く

一般的な内科や外科領域において医療の質を担保するのは、EBM(evidence-based medicine)に基づく診断と、各ガイドラインに則った適切な治療ということになります。検査結果が数値化しやすい疾患でのEBMは非常に有効なのですが、患者さんの個別性への対応には不十分です。特にアトピー性皮膚炎の患者さんのQOLの低下には、心身医学的なアプローチが重要になります。外見が損なわれることから生じるスティグマにも似たストレスもありますが、それ以前に疾患を生じさせる心理社会的な背景を探ることが重要で、私は大学時代からエビデンスに基づく対症療法を補完する目的で、対話と物語に基づくNBM(narrative-based medicine)のメソッドを積極的に採り入れてきました。研究ではアトピー性皮膚炎の患者さんの多くに「生真面目な性格」「一所懸命な姿勢」「仕事の過負荷と緊張」「人間関係への悩み」などが共通し、無意識のうちに嗜癖性掻破行動をとってしまうことが分かりました。そこで、一人ひとりの内外の背景を自叙伝として紡ぎ受容し疾患に正面から向き合う。丁寧なカウンセリングで相互信頼を醸成させ、患者さんが納得し望まれる治療を選択することが皮膚科におけるSDM(shared decision making)の第一歩ではないかと私は考えます。
このNBMの実践は1995年に大学内の一室を使って始めた患者さんとの交流会「アトピー性皮膚炎を考える会」に端を発するものですが、開業した現在も「アトピーカフェ」としてその活動を続けています。

一番立地にこだわったコンサルタントの現場感覚

私の開業を確かな形にしてくれたのは、電子カルテのショールーム「メディプラザ」(現在閉館中)で紹介を受けた日本医業総研のコンサルタント、小畑吉弘氏です。
実は、友人からの紹介で千葉県の柏市での開業を検討していたのですが、小畑氏のマーケティングで開業には不適当との判断。そこで、私の実現したい診療スタイルや強みを最大限に発揮でき、かつ通勤への負担の少ないエリアという条件下で小畑氏から人形町を提案され、事業計画の策定がスタートしました。
人形町は往時からの住民の他、マンション建設に伴う人口流入が多い地域です。ビジネス街の一面も持ち合わせていますから、子どもから高齢者、サラリーマン層まで幅広い層の集患が期待できます。
複数の候補を比較する中で開業を決めた物件も小畑氏がピンポイントで探り当てたものです。2駅から徒歩1分、メインストリートに面した一番立地で築年数が浅く意匠性にも優れた理想に近いものでしたが、賃料単価は比較する他の物件に比べて3割ほど高くなります。ところが小畑氏は事業シミュレーションを手に、
「確かに損益分岐点は高くなりますが、私の診療圏調査ではそれをカバーする十分な市場性が認められます。1日5人多く患者さんを診ましょう!」
数字上の裏付けを基に、現場第一主義の小畑氏が言い切る以上、私に迷いはありません。何よりも、すでに手の挙がっていたテナント候補を押しのけ、小畑氏がビルオーナーに直談判して主導権を握るという剛腕を発揮したこだわりの物件でした。
この判断が間違っていなかったことは、立ち上がりから現在まで続く業績に表われています。良質な医療を提供することはすべての前提ですが、やはりクリニック開業の肝は立地であるとつくづく実感しました。

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医業の成功は次代の医療資源に

医業収益という断片だけを捉えても、私の開業は正解だったといえそうです。時に、1日100人に迫る患者さんにどう対応するのかについては、現在非常勤で大学病院のレジデント1年目の医師に手伝っていただいています。しかし、それは二診体制で倍の患者さんを診ようとするものではありません。私の横で一緒に患者さんを診ながら、私の診療スタイルから何かを学び取り、さらに磨きをかけて次代の皮膚科医療を担って欲しいのです。医業で得た収益だからこそ医師の育成に費やす、それがもっとも有意義な種まきだろうと考えます。
私自身は医師であり続ける限り「一隅を照らす」道心を持って地域に密着して照らすことができれば本懐としています。それは91歳まで現場に立ち続けた父の診療スタイルを継ぐものにほかありません。因みに法人名の「慈光」は、父の法名の「慈光院」からいただいたものです。
毎月のレセプト請求、職員の勤怠管理と給与計算、大学ではまったく経験することがなかった諸々の雑事に追われながら、私の種まきに定年はなさそうです。

Clinic Data

Consulting reportコンサルティング担当者より

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