来院者数の拡大よりも、確実な地域ニーズへの対応と低い損益分岐点を優先

中谷拓也 先生

なかたにキッズクリニック
理事長・院長

2nd stage

悠久の景を綾なす京の川の多くは、北区の風光豊かな自然に源流をなしている。同区内では、臨済宗相国寺派の禅寺「金閣寺」、京都最古の社で賀茂別雷大神を祀る「上賀茂神社」、臨済宗大徳寺派の大本山「大徳寺」など洛北を代表する社寺が威風を放つ。この地を舞台に、毎年5月15日に京都三大祭りの一つ、「葵祭」が行われている。京都御所から上賀茂神社へ、古式装束を纏った総勢500名の、1㎞にも及ぶ王朝行列は万感の佳景だ。

なかたにキッズクリニックは、東に賀茂川の清流と上賀茂神社をのぞむ静かな住宅街に開業した。目立った大型商業施設などはなく、日中の人通りもまばらながら、近隣の小学校の生徒数は北区でもっとも多く、子育て環境は良好だ。すでに法人成りしたクリニックは安定的な経営が持続されている。

臨床実習で小児科への進路を決める

私の小学校の卒業アルバムを開くと、「将来は医者になりたい」と書かれています。

それは、何か特別な体験に駆り立てられたものではなく、大学病院に勤務する父を身近に、幼少期から自然と芽生えた意識なのだろうと思います。この頃に医療現場で働く父の姿には記憶はありませんが、休日に父に連れられて行った研究室の空気感に惹かれるものがあったのかもしれません。

父は外科医から救急救命医に転じ、いまも市中病院にて現役医師を続けています。
私は大学5年次の臨床実習中には、進路をほぼ小児科に定めていました。すでに少子高齢化社会に突入し、高齢者医療への社会的ニーズは高まっていました。医療の質・量だけでなく、健康寿命の延伸を図る疾病予防・健康増進の観点も求められます。しかし、加齢に伴う不可逆的な疾患などでは、超えられない壁があることも事実です。

一方、子どもたちには、この先70年、80年という私たちにない可能性を宿した未来があります。心身の成長という時間軸のなかで、子どもたちを病気から救うことの意義に医師としてのやりがいを感じました。

医師と子どもの見えない結びつき

母校小児科に始まり、勤務してきた関連病院は急性期機能が中心だったこともあって、重症の子どもも少なくありませんでした。それだけに、症状の寛解と退院は、一医師として代えがたい喜びでした。

治療を受け持った子どもの成長の過程や、成長後の姿を見られるのも小児科医の面白さです。NICUでのケアを担当した未熟児は、出張先の病院で、すっかり健常児に育った姿を見せてくれました。生死にかかわる先天性の腫瘍疾患で、大学病院での化学療法を受けてきた子どもとは、数年経っての滋賀県病院外来での再会です。現在も勤務医時代に主治医として診てきた乳児が、中学生になって当院に受診されています。10数年後、大人になった彼らが、ご自身のお子さんを連れてまたお会いできれば、そこに持続可能な小児科地域医療の原点があるように思います。

応用問題より基本問題を正確に解く

大学での研究領域は血液疾患で、臨床でも小児にもっとも多い腫瘍である小児白血病のほか、専門外来にてアレルギー疾患に取り組んできました。

私としては、継続して小児白血病の治療法の確立に挑みたいと考えていましたが、同時期、私の長男の進学準備もあり、関連病院への転任に伴う家族揃っての引っ越しが困難になりました。父親としては、長男の勉強も少しはみてあげたいという思いもあって、私は医師になって初めて開業という選択肢を意識し始めました。

私が大手メディア主催の開業セミナーに参加したのは2012年。日本医業総研の山下さんとのファーストコンタクトは、そこでの個別相談でした。勤務しながらの開業準備は現実的に不可能ですし、そのノウハウもありません。医業総研のコンサル料は安くはありませんでしたが、無償コンサルで不透明な見返りを期待されることも躊躇われました。医業総研の有償サービスも、結果として高くはないことは、開業後に納得しました。

病院では管理職にあらず、開業の可能性も頭になかった私は、医院経営にはまるで無頓着でした。貸借対照表の意味も理解せず、レセプト業務も、「国保・社保? 支払基金とは?」といった心許ない有様でした。医業総研主催の医院経営塾への参加で、すべてがクリアになったわけではありませんが、少なくとも経営者の心構えと、運営のリアリティはつかめたように思います。

父は本音では私が大学に残ることを期待していたのかもしれませんが、開業に強く反対することはありませんでした。然るに父は、「開業医になると基本問題ばかりで応用問題がない」とシニカルな比喩を説き、私は心の内で、「基本問題を正確に解くことも案外好きなのだ」と真剣に呼応しました。

診療スタイルと経営の安定を両立させた立地選定

13年間勤務してきた急性期病院では、小児科医療でも1週間程度の入院で急性期を切り抜け、その後は地域の医療機関に治療を引き継いできました。機能分化としては望ましい形なのですが、完治を見届けるまで子どもに寄り添えないことに担当医としての寂しさもありました。高度な医療と引き換えに、地域に密着し、医療を通じて長く子どもたちの健康と成長を見守ること。そこに私はクリニック開業の軸足を定めました。

開業立地は子どもの進学や地理感覚などから京都でと決めていましたが、市内は小児科の激戦区で、医療が充足していない空白区などまずありません。競合を覚悟しながらも、あらゆる開業の可能性を山下さんとともに模索しました。

患者さんの数を確保するという点では、大型SC内などでのテナント開業も候補でした。実際に募集物件も検討しましたが、高額な賃料がネックとなりました。小児科では、1日三桁の子どもを診ている先生も少なくないと聞きますが、立ち上がりからの盛況を目指すより、損益分岐のハードルを下げ、少人数からじっくりと積み上げていく方が私の診療スタイルに合っているのではないかという考えを優先しました。

開業に選んだ物件は、ネット検索中に偶然目に止まったものでした。実家にも比較的近いことから、地理的なイメージは容易に思い描くことができました。少子化傾向にあっても、宅地造成は現在も進められていますから、一定の流入人口は保たれています。物件は上階が賃貸マンションで、生活道路に面した1階ながらも賃料は駅近物件に比べはるかに低く抑えることができます。山下さんの作成された診療圏調査と事業計画では、1日40人弱の来院数で損益分岐し、それ以上の集患も十分に見込めるというマーケット評価でした。

また、子どもの風邪などの症状で、耳鼻科を受診される方が多いことが当該エリアの特徴でした。小児医療で耳鼻科とのバッティングは避けられませんが、私は無理に取り込むことはしませんでした。まず、小児科での全人的な評価から、必要に応じて耳鼻科や皮膚科、眼科などの専門医に紹介を出すのが地域医療の正道です。鼓膜所見や鼻の吸引などは小児科でも十分対応可能ですが、限られたパイでの競合よりも、密な連携を深めたことで、一定の成果は表れていると思っています。

十分な検査と、最少の投薬

かつて医局の先輩からは、「検査を数多く行うより、不要な抗生物質を投与することの方が罪は大きい」という指導を受けてきました。子どもの医療に何が必要なのかを突き詰めたとき、適確な診断と最少の処方という考えは、開業した今も私の治療方針の礎となっています。

血液検査は閾値を最少化し、オリジナルの検査結果表を見ながら診断を丁寧に説明しています。細菌感染の可能性がなければ薬は不要で、安静を保てば心配ない旨を伝え、薬の処方では処方箋に薬効に関するコメントを付し、薬袋に印字していただいています。いつまで飲み続けるかなどの服薬指導も好評いただいています。
現在の患者数は、事業計画を上回る患者数で安定推移しており、法人成りのメリットを享受できる安定的な収益が確保されています。また、診療スタイルを貫こうとしたときに、今以上の増患は望みません。

病院勤務と比べると生活のリズムは規則正しくなりましたが、忙しさという点では、現在の方が間違いなく上回ります。診察終了後にカルテの整理をし、気が付いたら日付が変わっていたこともしばしばです。経営と診療に全責任を負う、開業医のマネジメントはこういうことなのだと実感しました。せめて休日は、家族との時間を大切にすること、これも開業医としての生き方の一つと思います。

 

医療法人 なかたにキッズクリニック
理事長・院長 中谷拓也

院長プロフィール

医学博士
日本小児科学会認定 小児科専門医

1994年 洛星高等学校 卒業
2001年 京都府立医科大学医学部医学科 卒業 京都府立医科大学小児科学教室 入局
2002年 済生会滋賀県病院小児科
2004年 社会保険神戸中央病院小児科
2005年 京都府立医科大学大学院医学研究科博士課程(小児発達医学)
2009年 国立病院機構 舞鶴医療センター小児科
2012年 パナソニック健康保険組合 松下記念病院小児科
2014年 なかたにキッズクリニック 開設

Clinic Data

Consulting reportコンサルティング担当者より

お問い合わせ

オンライン開業相談