平安時代初期、在原行平中納言が須磨に籠居し侘しさを詠んだ古歌は、紫式部の佳篇「源氏物語」、鎌倉時代の軍記「平家物語」などにも脈々と受け継がれている。須磨は日本古典文学史の起点ともいえる一面をもつ。
神戸市の西部に位置する須磨区は、紺碧の海にたおやかな白波を立てる景勝地、須磨海岸が知れ渡るが、歴史に因んだ町名も多く、町中には史跡・標石が随所に点在する。現在は、海・山・河川の自然環境と住宅地がバランスよく整備され、関西圏ベッドタウンとしての人気も高い。
「林産婦人科」の開設は大正7年にまで遡る。親子三代にわたり生命の誕生と感動を見続け、地域産婦人科の代名詞といえる位地を築き上げてきた。近年も年間約800人の赤ちゃんの誕生を支えているが、地元在住者を中心に「里帰り出産は林産婦人科で」「親戚中で20人が林先生に取り上げていただいた」といった評判が聞こえてくる。そこに地域に密着した良質な産婦人科医療のあるべき姿が見て取れる。
2024年4月、第三者事業承継によって当院4代目院長に就任したのは、藤井治子医師だ。大学と関連病院で研鑽し、京都府の威明轟く産婦人科「ハシイ産婦人科」で17年間勤務した後に承継開業を決意。当院近隣のマンションに移り住み不休の診療を行っている。
医師としての転換期と新たな気づき
ご経歴を見ると、京都⼤学産科学婦⼈科学教室に⼊局後関連病院に出張し、大学院に戻られたということですが、産科というより、婦人科疾患の治療を中心にやってこられたということでしょうか。
(藤井治子院長)大学院での研究テーマは受精卵が母体の子宮に着床する瞬間のメカニズムで、出産以前の妊娠に至るまでの勉強をしてきました。大学病院や関連病院では、分娩にももちろん携わってきましたが、子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がんなど婦人科腫瘍への治療により興味をもって取り組んでいました。
では、本格的にお産に取り組まれたのは、前職の「ハシイ産婦人科」からということでしょうか。
大学の研究室にいる間に、息子を出産したのですが、生まれつきの病気を抱えていて、育児に十分な時間が必要でした。同時に研究を終えて自分自身のキャリアビジョンを見直す転換期でもありました。そこで出会ったのがハシイ産婦人科です。そのまま17年間も勤務することになりました。
ハシイ産婦人科勤務で大学では得られなかった新たな学びはありましたか。
転職前の6年間の研究や臨床業績は、産婦人科医療の限られた一部でしかなかったことを実感しました。これまでと違って、ハシイ産婦人科では、診療の6~7割が妊娠分娩管理でした。私自身が出産を経験し、子どものために何をしてあげるべきか、母親として自分がどう成長したらいいのかに思い悩みましたが、ハシイ産婦人科で臨床に立ち、お母様方に接し、不安や感動に触れ、私が医師としてすべきことは何かという考え方が大きく変わったように思います。目の前のお母様に求められていること、今私がしてあげなければならないことを、一つひとつ可能な限り丁寧に学んでいくように心がけました。
前職でも副院長という重責を担われていたわけですが、さらに責任の重い自院開業へと向かわれた動機をお聞かせください。
ハシイ産婦人科のような地域に根ざした診療所では、医療は自ずとプライマリケアに傾きます。疾患の発見が遅れることで、育児や家庭生活に支障がでないようにと、乳がん検診などの二次予防を大切にするようになりました。お産はいつの時代も危険と背中合わせです。あたかも逆らえない運命のように妊娠分娩合併症に襲われます。また、大まかな経過が順調であっても、マイナートラブルやメンタルヘルスへのサポートを必要とするお母様方が大勢いらっしゃいます。そのような方々に対し、私にできることはなんだろうと考えると、「いや、二次予防では物足りない。未然に防ぐ努力が必要だ」と新たな課題が生まれました。もっと健康に妊娠し、元気に妊娠生活を送り、安全なお産を迎えるために女性の体作りを大切にしたい。母体の健康増進は、産まれる赤ちゃんが一層元気に育つことにつながり、産婦人科医にしかできない最も重要な一次予防であると考えました。一次予防を丁寧に行なっている産科医療機関はなかなかありません。だったら、私がやってみたい。ハシイ産婦人科でも不可能ではないし、待遇面に何の不満もありませんでしたが、残りの医師人生をどう生きるか考えたときに、自院開業を選択し貫きたいと考えました。
産科医療では出産を控えた方とは、十月十日の長く濃密な関係性が続きますね。
私は十月十日で終わるとは全然思っていません。それに、たった10カ月間のかかわりでは何もしてあげられません。女性の一生にお付き合いするのが産婦人科医です。さらに赤ちゃんとは母親の胎内にいるときから会話が始まっているのです。お母様との会話は思春期にまで遡ったらどこまでも話題が尽きません。出産後も婦人科疾患のケアや悩み事の受け皿でありたいし、更年期、老年期になっても立ち寄っていただきたいと思っています。私自身がそうですが、エイジングを遅らせて元気に生きたいという女性の思いにとことん伴走していきたいのです。女性はデリケートなことも含め、一番気になることを身近な信頼のおける人に相談したいものです。そういう方々が私の目の前にいらっしゃることを日々医療現場で実感しています。
日本は世界屈指のお産安全国とされていますが、それでも100%では当然ありません。出産のリスクに対する不安と理解にどう向き合われていますか。
お産のリスクをゼロにすることはもちろんできないのですが、不安に怯えたまま出産を迎えたら、リスクはさらに膨れ上がります。リスクを正しく伝えることは大切ですが、それよりもお母様のリスクを一緒に抱えてあげよう、一緒に精一杯やっていきましょうという気持ちで臨みたいと思っています。お産って怖いし、痛いし、誰も快適じゃないんです。でも、その快適でない時間に挑んでいく勇気を大切にしたいのです。総合病院のような重厚長大な施設設備は備えられませんが、寄り添うことによる快適感情、信頼のおける人に支えられている充実感といったメンタリティが、「産む力」を高め、お産の経過を変えると信じています。英国から、施設の大きさや設備の充実が分娩合併症を減少させるわけではないことが報告されていますが、臨床現場でも実感しています。
実現したい医療を事業承継でかなえる
ところで、今回の承継開業についてですが、当初先生は新規開業と承継開業を同時並行で検討されていたのですか。
実現したい医療への強い思いがあって、真っ白な状態から私の色で作り上げたいという考えももちろんあったのですが、お産主体の有床診療所となると立地や現実的な予算の問題があります。調達可能な資金にも限界があるでしょう。また、地域から必要とされているのにもかかわらず後継者不在に悩む医療機関がある一方で、思い通りの施設を新設することの矛盾やサスティナブルな観点からも新規開業にはやや疑問が湧きました。承継開業を選ぶにしても、前院長がこれまで続けてこられた医療とうまく融合できるのか、チーム医療を進めるうえで、スタッフたちの理解が得られるだろうかという不安もありました。でも、私の思いがスタッフにすら伝わらないようなら、患者さんにも振り向いてもらえません。現場で頑張っているスタッフを大切に思いやり、生活を守り、地域の方々がいつでも安心して受診できる、そんな当たり前の行いが引き継げないような医師に地域医療など守れるはずがありません。そういう決意で承継開業の意思を固めました。
そこで当社の猪川に相談されたわけですね。
中学校時代からの幼馴染みに紹介してもらったこともあって、猪川さんには初対面から安心して相談させていただきました。相談というより先ほどお話したような、産婦人科医療に対する思いの限りをぶつけた感じでしょうか。
(猪川昌史/日本医業総研)弊社までお越しいただき、1時間ぐらい延々と話をされてましたね。
(藤井)そうなんです。延々と(笑)。でも猪川さんは全然嫌な顔もされずに、ずっと真剣に聞いてくださいました。
(猪川)私の受けた印象を言えば、あのときも申し上げたと思いますが、考え方にブレがない藤井先生だったら、新規であれ承継であれ、開業は成功すると確信めいたものを感じました。
(藤井)直感的に猪川さんとのご縁を大事にしなければ夢は実現しないと思いました。だから、私が大切に思っていることを初対面で精一杯伝えるしかないと考えたのです。起業や経営の知識など何も理解できていない私の話は、ただ夢を語っているに過ぎないのかもしれませんが、猪川さんはすべてを真正面から受け止めて、快く引き受けてくださいました。勇気づけられましたし、本当に嬉しかったです。
前勤務先のハシイ産婦人科も、藤井先生の開業には協力的だったそうですね。
橋井康二院長からは長年薫陶をいただき、妹のように大切にしていただきました。林産婦人科の承継を相談したときも、「そろそろええ歳なんやから、そんな大変なこと止めとけと思うけど、藤井先生がやりたい言うたらどうせ止めへんやろうから、頑張って行ってこい!」と笑顔で背中を押してくれました。法人の総事務長や顧問税理士までここに来てくださり、細部にいたるまで貴重な助言をいただきました。
その場の光景が目に浮かぶような、橋井院長の懐の深さや温かな人格がうかがえる話ですね。
本当に心の広い方です。常に私の医師として、人としての成長の機会をいただいてきました。林産婦人科の承継はその真価が問われますし、同時に橋井院長に対する恩返しでなければならないと思っています。
現状維持ではなく、時代に沿った進化
林正人前院長との最初の面談では、どのような印象を受けましたか。
林先生については、予断を持たず2~3の質問だけを用意してお会いしました。「スタッフ教育では何を大切にされてきたのですか」とお尋ねしたところ、「“待つ”ことを大切に」というお答えでした。患者さんに対して大事にすべきこと、の問いには、「とにかく、優しくして欲しい」。お答えをいただいたのは「待つ」「優しく」という、この2つだけです。林先生は多くを語られませんでした。初対面の私に対して聞きたいことが沢山おありだろうと思うのですが、何も仰いませんでした。おそらく林先生は様々な思いを懐深く受け止め、30年余のクリニック経営と地域産婦人科医療を守ってこられたのでしょう。穏やかな表情のまま仰った2つの言葉にとても感動しましたし、その瞬間に気持ちがスーッと林産婦人科に溶け込みました。
承継に対するプレッシャーはありませんでしたか。
三代引き継がれた施設で、お産の実績も地域で最も多い。院長は人格者でスタッフからの信頼も厚い。地域外から急に来た私に、そのような医院をお預かりすることが本当にできるのだろうか、と思う部分はありました。
事業承継で院長が交代することに、スタッフの反応はいかがでしたか。
林先生がスタッフに事業承継の発表をされたのが、契約の直前だったようで、2日後に私が挨拶に出向いた段階では、やや戸惑いがあったように感じられました。その後、承継の1週間前からスタッフの個別面談を実施しました。事前に私からの質問用紙をお配りし、各自まとめていただいた考えを基にコミュニケーションを図ったのです。
リニューアルされたホームページに掲載された経営理念、「愛、誠実、貢献、成長、楽しむ」がとても印象的でした。これは地域に向けたメッセージであると同時に、スタッフに期待する行動の指針でもあるわけですね。
経営理念というより、私自身の「人生理念」でしょうか。私がこうありたいと考えることは、医院のあり方に直接つながりますし、私の発する言葉は、スタッフの意識にも響くものだと思っています。古き良き風習を残しつつも、今の時代に即した新しい医療を少しずつ取り入れていくことも必要です。事業承継はいままでできていなかったことを掘り起こすいい機会だと、スタッフ皆に感じ取って欲しいのです。例えていえば「芋堀り」のようなもので、1個出てきたら嬉しいものじゃないですか。さらに芋づるを手繰るともっと大きな芋が出てくる。そこにも、あそこにも。そこに、医院を良くするきっかけが見つかるはずです。その宝探しを皆さんに楽しんでいただけたらと思うし私も楽しむつもりです。
「不妊」から「妊活」、そして「産活」へ
現在、外来でお越しになる方の、お産にかかわる方と、その他の婦人科疾患の方はどんな割合でしょうか。
産科のイメージが定着していることもあってか、外来では概ね8割が妊婦健診ですね。これまで思春期から更年期までいろいろな悩みに対応してきた私としては、婦人科の割合が半分くらいあって欲しいなと思っています。広報活動も含め、そこは改良すべき課題の1つですね。
かつて先生が専門とされてきた、婦人科腫瘍なども含めてということですか。
そうです。がん検診のほか乳腺エコーも導入して乳がん検診の枠を作ったり、ホルモン療法や漢方療法なども取り入れたいですね。一次予防として、栄養療法外来を設け、女性の健康度を高めていくことにもお役に立ちたいという気持ちでいます。
栄養療法外来というのは、栄養士による食事アドバイスではなく、藤井先生ご自身が医療として栄養療法を行うということですか。
もちろん、すべて私が行います。分子栄養療法といって、細胞のなかの機能改善を行うこと、機能性医学やオーソモレキュラーなどとも呼ばれますが、産科診療に用いたり、女性の月経痛、PMS、更年期障害などの機能的なトラブルにも対応可能な分野だと思っています。
「妊活外来」についてお聞かせください。
「不妊」ではなく「妊活」。病気の治療という志向ではなく、より妊娠しやすくするという視点を大事にしたいと思っています。言い換えれば、「予防焦点」ではなくポジティブな目標を目指す「促進焦点」ですね。不妊という言葉は、それだけで気持ちが下がるイメージがあって以前から気になっていたのです。いまでは「妊活」の言葉も広まって、外来で患者さんから普通に妊活したいと言われるようになりましたし、さらに「産む力」を高める取り組みを私は「産活」とも呼んでいます。
24時間体制のためには本当は病院に住みたい!?
まだ引き継ぎの最中だと思われますが、林前院長の診療スタイルから学ぶことはありますか。
もう、メチャクチャ学ぶことだらけです! 最初に林先生が仰られた「待つ」「優しく」が具現化されたような本当に繊細で丁寧な診療をされています。すべてが患者さん本位の運営で、24時間患者さんの都合に合わせて動ける体制を自ら実践されています。そういうところから安心感・信頼感が生まれてくるのでしょう。
改めてうかがいますが、医業を承継されて、林前院長のなにを踏襲し、新たにどの部分で藤井先生らしさを表現していこうとお考えですか。
こんな性格なので、私らしさを押し隠すことはきっとできません(笑)。
確かにそんな気がします(笑)
院長を拝命しても、まだ名ばかりで、林先生が築かれた医療基盤の上にチョコンと乗っかって、医療安全に心掛け、これまでと同様の医療提供ができるようになるまでにはもう少し時間がかかるだろうと思っています。それが馴染んだころには本当に守るべき大事なことが見えてくるし、馴染みながら徐々に私の診療スタイルも滲み出てくるでしょう。そうなると、スタッフにも変化が起こるし、逆に私のことも変えてくださるのではないか、それらが混じり合って新しい林産婦人科になっていくのではないでしょうか。焦ることなく、林先生のなさってこられた医療を尊重し大事にしていきたいと思っています。
開業医になられて、私生活に大きな変化はありますか。
毎日24時間仕事です! 前職のハシイ産婦人科は医師5人体制でしたから当直日以外は気を抜くこともできたのですが、ここでは毎日が当直のようなものです。林先生ご自身がそうだったのです。医院の隅々にまで目が行き届き、お一人ですべての状況を把握され、夜中であっても軽いフットワークで診療に戻られてましたから、スタッフも私にそれを期待しています。元々、仕事どっぷりの生活は嫌いではないので、健康に留意しながら医院拠点の生活をしていきたいと思っています。
(猪川)京都のお住まいからこちらに引っ越されるとき、たしか病棟に空きベッドがあったら、そこに住みたいと仰ってましたね。
(藤井)いまでもそうです。最初に施設の見学に来たときに建物を見上げて、「林先生、屋上に家が建ちますかね?」と真面目に聞いたのです(笑)。先生は「えっ!」と絶句し、かなり引いておられましたけど。結局賃貸マンションを借りたのですが、少し離れているので、できることなら早く医院に引っ越したいです。
承継医師はどこかでつながれている
今回の承継開業では、マッチングと承継実務を日本医業総研の猪川とメディカルトリビューンの中西俊幸氏で担当させていただきました。私どものサービスについて忌憚のないご意見をお願いいたします。
コンサルタントに何をどこまで期待するのか明確な尺度があったわけではないのですが、猪川さんと中西さん、お二人のおかげで今があると思っています。私が素朴なことで悩み相談しても、いつでも優しく受け止め丁寧に対応していただきました。これからも、何かの折にご相談したいという思いでいっぱいです。
メディカルトリビューンの中西さんは今回の承継を振り返ってみていかがですか。
(中西俊幸/メディカルトリビューン)林前院長はすでに2年ほど前から承継を検討され、私どもがご相談を受ける前から複数の仲介業者がかかわっていたのですが、その担当者の対応がことごとくダメだったという経緯があったようです。契約間際まで話が進んだ候補者もいたようですが、頓挫したようです。そこで大手医薬品卸業者からの紹介を受けた私が呼ばれ、ひとまず合格判定をいただいたのです。
(藤井)そんなことがあったのですか!?
(猪川)今回の林産婦人科承継のスタートは中西さんだったんです。当初、林産婦人科の顧問弁護士や税理士との交渉窓口に立ったのも中西さんです。
(中西)士業の方々にはそれぞれプロの視点や役割があるわけですが、私どもも長年事業承継に携わり成功に導いてきたプライドを持って取り組んでいます。どちらが優位に立つのかではなく、地域と林産婦人科にとってもっとも望ましい選択を、双方が良い形で提案できれば、必ず理解し合えると思っていました。
(藤井)私がお会いしに行ったときは、すでに弁護士さんたちを交えた下準備ができていたのですね。
(猪川)そういうことですね。あのときの面談を機に話が具体的に進みましたね。
(中西)「藤井先生なら間違いない」と林先生を始め弁護士からも認めていただき「いい先生をご紹介いただいた」と仰っていただきました。
(猪川)契約書等の作成では、弁護士から文言一つひとつに細やかな指摘が入りましたが、厳しいというより、106年続く林産婦人科を守らなければならないという使命感のようなものがヒシヒシと感じられました。メールのやり取りだけでも夜10時、11時という日が続きました。それだけに12月24日のクリスマスイブに、この部屋で契約を締結し、藤井先生にご用意いただいたシャンパンで乾杯したときは感動しましたし、同席されていた弁護士も本当に喜んでおられましたね。
皆さんの話を聞いているだけで、それぞれの方がそれぞれの立場で、今回の事業承継成功に向けて真剣に取り組まれたことがわかります。
(猪川)今回は私と中西さん、林前院長サイドに顧問税理士と弁護士、藤井先生にもハシイ産婦人科の顧問税理士と総事務長、私どもにも弁護士がいるわけですが、我々の立場は話をより良い方向にまとめるだけで、何ら意思決定はできません。三代引き継がれた林産婦人科と地域産婦人科医療を絶やしてはならないという林前院長、その意志を受け止めて立ち上がった藤井先生が手を結ばれた結果なのです。藤井先生とは昨年の7月に最初の相談をいただき、林産婦人科を紹介させていただいたのが9月、契約が12月ですから、結果として最短時間で最高の承継がかないました。マッチングのタイミングというのは確かにあるものです。でも、日本に34万人もの医師がいながら、極めて少ない確率論のなかで承継がまとまることは、偶然なのではなく、必然だったのではないかと思えてならないのです。目に見えない医師のつながりのような世界観なのかもしれません。
(藤井)前前世あたりからつながっているのかもしれませんね、きっと。
Profile
理事長・院長 藤井治子 先生
医学博士
日本産科婦人科学会専門医
母体保護法指定医
国際認定ラクテーションコンサルタント
乳がん検診超⾳波検査判定医師
マンモグラフィ撮影認定診療医師
⽇本⺟体救命システム認定ベーシックインストラクター
⽇本抗加齢医学会認定医
臨床分⼦栄養医学研究会認定医
高知医科大学 卒業
京都大学大学院 卒業
京都⼤学産科学婦⼈科学教室⼊局
天理よろづ相談所病院産婦⼈科
国⽴病院機構⼤阪医療センター産婦⼈科
医療法⼈社団ハシイ産婦⼈科副院⻑
奈良⼥⼦⼤学⽣活環境学部⾷物栄養学科⾮常勤講師